お仕事でいろんな街に行かせてもらってます。

中学英語下手くそな絵で何とかやれてます。

それにしてもどの国どの街照明部はみんな

こんな感じです。

現場で一番働き一番重い物を持ち

一番遅く撤収します。

決して一人ではやれない仕事です。

気持ちいいぐらいいい汗をかいてくれます。

そんな仕事を誇りに思います。

一生に一度しか会えなくても世界と繋がっている

ことを感じることが嬉しくてなりません。

がんばっていこう!

                  2017年10月12日  藤井

 ブタペスト

 バンクーバー

今日、大好きだった先輩が逝ってしまいました。

殺伐とした撮影現場にあって良い意味で肩の力を抜いてひょうひょうと仕事をしているその姿は憧れであり、

癒しであり、なごみでありました。49歳・・・早すぎるその死に涙を止めることができません。

「七人の侍」でこんな意味合いのセリフがありました

「これからという時に、一番必要ないいやつほど先に逝く」・・・・・素敵な方でした。

鈴木 静
さん・・・・・・・・おじさんです。       合掌
                                  2013年1月12日   藤井

2009の初夏に会社を設立して、4年が経ちました。

わが社生粋の新人たちも様々な現場に出て、色々な経験を積んできました。

ある者は、現場の人気者になり、またある者はセットの裏で涙を流し、夜な夜な飲み歩く者もいれば

現場に来なくなった者もいる、負傷した者もいれば恋をし失恋した者もいる。

そんな彼ら彼女らもそれぞれの生き方を模索し始め、ある者はフリーになりたいと言い、ある者は制作部

になると言う。もちろん残る者もいて、わが社ならでは自由度なのだと思ってみたりする。

まあ、我々も20年間フリーとして業界にいて紆余曲折をへて照太郎というに乗り込んだ。

荒れくれどもの集うで育った若者大海原を見てまだ見ぬ世界を想像したのだろう。

たとえが待っていても恐れることはない、さえあればどこまでも泳いでいけるはず。


Boys be ambitious  少年よ(少女) 大志を抱け!

2014 5年目の今年はどんな若者がこのに乗ってくるか!!


                               2014年1月25日  藤井

「エビは一生脱皮し続けるのです」 とあるお坊さんが言いました。

このたび照太郎引っ越しました。あの日本映画たちを生んだ日活調布撮影所
 
これからの撮影所は変わっていきます。そして照太郎もより良くなる為に・・・

どこかの大統領「チェンジ」と叫び、さるラグビー部「前へ前へ」と声をあげる。

照太郎進化しています。

                               2015年3月9日  藤井

     書かなければいけないことが溜まってしまっていた。

もう三ヵ月も前になってしまったが私こと藤井が担当した吉田大八監督作「桐島、部活やめるってよ」

日本アカデミー賞最優秀作品賞を獲得した。20年になる映画人生のなかでもめったにない素敵な経験

をさせてもらいました。映画は記録よりも記憶に残る仕事だと思います。そういうことでもこの「桐島〜」

10年後・20年後に僕の好きな映画たちのように映画少年たちから面白いと言われてくれれば・・・・

どんな賞よりも名誉
ことだと思うのです。
                                2013年6月10日    藤井

一年に一回の更新のこの日記を「もう年記にかえたら・・・」と言われるこの頃・・・

新人も増えてきている中、大ベテランがこの照太郎に参入してくれました!

増田靖志さん。とても優しく、とても厳しく、野球に例えると「ある時は三塁ランナーコーチ

ある時はバント職人、そして困った時はピンチランナーとしてホームまできっちり

帰ってきてくれる」照太郎にとってまさに必要な方でした。

増田さん、阪神タイガースをこよなく愛する オ・ジ・サ・ンです。


                           2016年10月16日   藤井

2009〜2010年

 カウアイ

 ロンドン 

 LA

 マイアミ

照太郎
日記

2011年〜2012年

人の生涯の中で「人生を左右するほどの影響力を持った人」にどれだけの人が出会えているだろうか


この世界に飛び込んで多くの先輩と出会いましたが、その誰しもがこの方の名前を口にしてました

                                 ・・・・・「熊谷さん」

熊谷さん
のエピソードを話すとき「あのシーンは、大変でさぁ〜」とか「凄く大変な場所にライトをさぁ〜」

と大変苦労した話を楽しそうに話します。

僕もご一緒させていただいたときに「ゆるしませんよ、ゆるしませんよ!」[微妙ですよ〜」とか言われながらも

ライティングをするのが楽しくてしかたありませんでした。

で演出をする。がお芝居をする。そのことがなんと楽しいことか!

現場でドキドキ、試写でワクワク。この情熱的な仕事ぶりに僕らは興奮し画作りの面白さを教えてもらいました。

まさしく
「照明熊谷学校」と言われる由縁です。

多くの照明技師が影響されてます。不思議なことに師と弟子ではなく、先生生徒
のようです。

 3月26日亡くなられました。 

 6月23日に熊谷さんを慕う方たちの手で「熊谷秀夫さん ありがとうの会」を催しました

 200人も来ていただいて、なんと素敵で嬉しことか!!

                                   2013年8月2日    藤井

 オアフ

日本