ドナウ河のほとりの街,ブダペスト
 この歴史と風土によって作られた静寂とエキゾチックが同居するこの街に
わたくし藤井・41歳たった一人の照明部として異国の地に降り立ったのです。
・・・・恥ずかしながら初海外

しかも英語は中学生レベル・・・・そして意外とShy boy

とあるCMの撮影のため、ロケハンから撮影、そしてテレシネまでの9日間を過ごすことになりました。
 照明部という職種は1人では全く何もできません・・・・
とにかくまずはコミュニケーション
「ヨーナポト(こんにちは)」「クスヌム(ありがとう)」「チョダ―ロトシュ(素晴らしい)」
「ヨーケープー!(イケメン!)」などの言葉を覚えひたすらコミュニケーション
 後はライティングプランを絵に描いて英語で機材の確認。
それこそワンカットごとに絵に描いて説明していき、ダメ押しに「楽しくやりましょう」と
ハンガリー語
ラブレターを書いて渡す・・・・・完ペキです。

ハンガリーの人々は勤勉で真面目です。そしてすがすがしく、実に良いクルーでした。
彼らの名前を覚え、そして、呼ぶことで彼らも僕に笑顔で答えてくれました。
とてもいい仕事が出来たと思います。
異国の地の彼らに!

Koszonom!(ありがとう!)アッティラ。ゾーリー。ボナーバーシュ。アッティ!

                         2011年10月12日    藤井

照太郎
日記

最近の照太郎は映画にかぎらずCMもちらほらやってます。
よく「テレビCM映画の照明の違いは何ですか?」と聞かれることがあります。そんな時は
「まず、要求されていることが違います」と答え、農業に例えた話をします。
 「テレビ野菜作り。季節の旬の野菜をタイミングよく育て出荷します。まあ多少環境が悪く
てもすばやく育つのでタイミングだけ間違わなければ大丈夫なのです」
 「CM果物作り。お金をかけて丁寧に丁寧に育てます。デリケートな食物なので作り手の
腕によっては、味も形も変わります。市場のニーズに左右されるので大変です。」
 「映画米作り。基本の土作りからまじめにこつこつとやっていきます。完成まで長い作業
ですが、手間ひまかけることでシンプルで深みのあるおいしいお米ができるのです」
  まあ、日頃米作りをしている僕らの果物もこれはまた味があって美味しいですよ
                       2011年8月13日     藤井

見習い期間をへて六月より一人の若者が照太郎になりました!
岩本 雄介・・・岡山より上京して紆余曲折をへてここにたどり着きました。まあ、人生
いろんな経験をするもんです。見習い期間中はかなりハードな眠れない現場を経験し
ましたが「どうだった?」「…しんどかったです(笑)」と笑顔で答えてくれました。この仕事
楽しんだもの勝ちです。がんばれ!ユースケ !!                     
                         2011年6月28日   藤井

さかのぼること7月のある日、会社の電話がなり「すみません、東京に出てきたので宜しくお願いします」

「・・・・デテキタ?」  高知から突然出てきたそのもう引っ越してきたというのである。

まあ普通は一度面接をして、改めて連絡を取り合って上京の時期を確認検討するものですが・・・。

とにかくズブの素人すぐに仕事があるわけなく、機材整備からスタート。休みなく現場の雑用などあれよあれよと

いつのまにか照太郎の一員となっていました。まあ、何やかんや言ってもこの業界「飛び込んだもの勝ち

です。高知生まれの「はちきんガール」 西あずさ  がんばれ!

                                
2012年12月7日   藤井

 この10月より我々照太郎にもう1人若き新人が入ってきました。
名前は上村ちひろ
彼女は2ヶ月の研修期間を深夜ドラマという過酷な現場にてしかも全10話を見事完走するという・・・
ベテランでも弱音を吐いてしまいがちのこの現場を負けん気ガッツで乗り切りました。
拍手~!パチパチパチパチ
何事もガムシャラでいけば道は開けます。
 この若き才能にパソコンを委ね(恥ずかしながらこれまでパソコンをまともに使える人がいませんでした。)
照太郎のHPもグレードアップしていくことでしょう!!

                           2011年10月11日   藤井

25日に照太郎から一人の男が中国へと旅立った。そしてその中国には、二か月前から
ガンバっているもう一人の照太郎がいる。前者は田部であり、後者は佐藤である。
かわいい妻子をこの東京に残し、彼らは中国にて映画を撮っている。もちろん中国地方
ではなく、「中華人民共和国」にて中国映画を撮影しているのです。
詳しくは書けませんが日本人スタッフが技術をかわれ日本以外の国の作品に参加して
いる・・・・欧米圏では普通だが、アジアでは珍しい。さあ!異国の地でガンバる二人の
照太郎とフリーの侍たちよ
、どうか伸び伸びと映画作りを楽しんでほしい。
映画に国境はありません、どんな国のどんな映画でも必要とされれば行くのが照太郎
す。最後にかの坂本竜馬西郷に言った言葉を送ろう。。
     「これからは世界の照太郎でもやってみるかの~」
                
実は海援隊)

                         2011年4月26日    藤井

20年前の若武者たち

2012年になりました

昨年の映像業界にも及ぶ激震にこの小さな小さな会社も「もはや、これま・・・」という状況の中
八名による全員野球バントエンドラン犠牲フライを駆使して確実にランナーを返すことで
三回表を乗り切りました  
そして今年はそれぞれがヒットエンドランのつもりでフルスイングで振り切ります。
そして2012・.8月には
4年目に突入します。   「さぁ、こぉ~い」
                        
2012年1月5日  藤井

最近の映画事情・・・・ほんの三年前までは劇場のスクリーンにかかるフィルムデジタルの映写の割合は
ぐらいだったような気がします。しかし今年は
・・・・完封負けです。
何故ここまでフィルム映写が減り、DLP映写ばかりになったのか・・・・まあ、大人の事情です。
かといってHDカメラの画がキレイでフィルムの画が古臭いということは決してありません。むしろHDカメラでは
技術者や表現者たちを満足させる画までたどり着いていません。
 去年からこの時期までにやった4本の映画は撮影から仕上げまでのプロセスがみんな違います、
映画撮影は試行錯誤の時代に入りました。表現者の挑戦は始まっています。
                    
                2012年7月5日   藤井

 もう20年以上前になりますが、地方より上京して映画の学校に通っている時に一本の映画に

出会いました。その映画は「きらきらひかる」(1992年・松岡錠司 監督)

 透明感のある映像、人物の表情とセリフを大事に効果的に使う演出。映画少年は、さも悟った

かのように「日本映画はすごい」と感動したのでした。

 そして今、幸運にも松岡監督と作品作りをご一緒できるようになり、自分が20年前に望んでいた

場所であることが嬉しくもあり、また極度のプレッシャーでもあります。でもそれは実に心地の良い

場所なのです。
                                2012年8月5日   藤井

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